§001 マザーグースとは?

§001 マザーグースとは何か?

1.フェル先生登場

ひゃっひゃっひやっ。
いや、諸君。今日もポケットにはライ麦がいっぱいかね?

うむ。結構、結構。
お初にお目にかかる。吾輩の名はふぇる。「ふぇる先生」と呼んでくれたまえ。
左様、マザーグースきっての嫌われものじゃ。

なに?わしの名を知らんじゃと?
不届き者めが。きちんとこれを読んで、予習しておくように!

さて、このカテゴリーは、吾輩が自らマザーグースについて語って聞かす。
という、全くもって有難いコーナーじゃ。

吾輩は極めて多忙なため、そう頻繁に講義出来るわけではないが、有難く聴くように。
うん・・・読むようにと書くべきかの・・・まぁ、どっちでもいいわい。

2.マザーグースって何だ?

さて早速、本日の本題にはいる。

マザーグストは何か? これについては明確な答えが出ておる。

マザーグースとはマザーグースの事である。

以上。講義を終える。。。。。。

と、いうわけには行くまいの。

しかしながら、究極の結論としてはこれが最も適切であり、これ以外に説明できる言葉がない。
とはいえ、もう少し解説を続けてみよう。

3.英国伝承童謡

一般的にはマザーグースは「英国や米国で親しまれている、英語の伝承童謡の総称」と説明される。
あるいは、「英語のわらべ歌」と言われることもある。

歴史的には16世紀ごろにはすでに伝えられていたものと推測され、17世紀における大英帝国の植民地政策により、世界に広まったといわれておる。
もちろん、活版技術の向上による書籍の普及というのも、要因の一つであろう。何より、口伝により今日まで伝えられたことの貢献度は高い。

マザーグースの総数については600程度というものもあれば、1000以上だというものもある。

文章による伝承でなく、口伝による伝承のため、まるで伝言ゲームのようにところどころに変更や追加が行われ、多くのバリエーションが存在していることも理由の一つだ。

また、マザーグースというものが、確固たる定義を持たぬまま伝えられたため、どこまでをマザーグースとすべきなのか。。これによっても異なると思う。
例えば、諸君らのよく知っている「きらきら星」。
これもマザーグースの一つとして紹介している本が多いが、これは18世紀にフランスで誕生したシャンソンであり、それにイギリスの詩人、ジェーン・テイラーが1800年初頭に英語の歌詞をつけて童謡として世に広めたことがわかっている。

したがって、マザーグースを「(16世紀頃を起源とする)英国の伝承童謡」とするならば、「きらきら星」はその範疇に無い。
そのため、これをマザーグースと呼ぶのはふさわしくない。と主張するものも少なからず居るが、多くはマザーグースの歌の一つとして紹介する方が一般的である。

このことから、英国伝承童謡はマザーグースの要素の一つだじゃが、決してそれがマザーグースの定義でない。というわけじゃ。


4.わらべ歌

次に、「英語のわらべ歌」という定義を考えてみよう。
確かに、マザーグースの多くは子供たち向けの歌である。
しかし、童謡で括るにはいささか難がある。
例えば、吾輩のライムは曲になっているとは思えんし、ましてや童謡とも言い難い。
他にもマザーグースには次のようなものがあり、それらはとても童謡とは言えん。

  • 明らかに大人の立場で描写されているもの
  • 物売り歌
  • 当時の政治を批判しているらしきもの
  • 歌というより、格言のようなもの
  • 歌にしては長すぎる物語のようなもの

まぁ、詳しい分類については後日に詳しく述べよう。

したがって、「英語のわらべ歌」という定義もまた、マザーグースの要素の一つだじゃが、決してそれがマザーグースの定義でない。

5. ナーサリーライム

さて、マザーグースは主にアメリカで使われる言葉で、イギリスでは「ナーサリーライム」と言われておる。
もちろん今はイギリスでもマザーグースが定着しつつあるし、アメリカでもナーサリーライムを使うこともあり厳密な区別ではない。

この「ナーサリーライム」だが、これは「子供部屋の押韻詩」という意味である。
ナーサリーライムが詩である以上、マザーグースが童謡ではないことを示すというわけじゃ。

押韻詩について説明する必要がると思う。
押韻とは同一または類似の韻(音)を持った語句を一定の箇所に用いる事であり、押韻詩とはこの押韻を利用した詩の事じゃ。

うぅむ、それではわかりにくいな。

例えば、「兄さん ニンニク 肉と 煮る」
これは各語句がすべて「」から始まっておる。
つまり文頭が韻を踏んでいるわけじゃ。


一方、「もっと ホット マット」・・なに?どっかで聞いたきがする?
気のせいじゃ・・無視せい。

これは 〇っと で終わっている。これも最後が韻を踏んでいることになる。

押韻は、リズムを良くする。リズムが良くなると、そこに音楽が生まれる。
諸君らの内数名は「なんか、ラップみたい」と思ったのではないか?
左様。ナーサリーライムに始まるこれらライムこそが、ラップの原点だYO!

 Camm'on Ever body sing a song
 モンスター呼ぶなら King Kong
 東洋のパールは Hong Kong
 租借をしていた England
 子供は歌うよ Nursery Rhyme!!

失敬、ちょっとノリ過ぎた。話を元に戻す。

6. マザーグースの特徴

このように、マザーグースはいろいろな要素を含んでおり、一言で片づけるのが難しい。
じゃから、吾輩も最初に「マザーグースとはマザーグースの事である」と言うほかなかったのじゃ。

ただ、その中でもいくつか共通した特徴というものがある。

まずは、市井の者たちや、当時の市民たちに直接結びついていたという事じゃ。
マザーグースを知ると、その当時の風俗や習慣、考えや事件などが想像できる。
また、語り継がれる教えや言い伝えなどもわかってくるぞ。

それと、マザーグースは、決して「いい子ちゃん」では無いという事じゃ。
後日語るが、日本で初めて本格的なマザーグース集を発表した北原白秋は、マザーグースの事をこう説明しておる。

「不思議で美しくて、をかしくて、馬鹿々々しくて、面白くて、なさけなくて、怒りたくて、笑いたくて、歌ひたくなる」

実に特徴をよく捉えておる。
そして、さらに加えるならば、「皮肉屋で、屁理屈が多く、不気味」じゃろう。

マザーグースには残酷な描写や、グロテスクな表現。そして意味ありげな言い回しや明からな嫌味、差別的表現も少なくない。
中には、本の出版に際し少々おとなしめの表現に変更した歌もあるという。

グリム童話が本来はぐっと、不気味な内容であったことを考えると、当時の人の考えは今よりも少々ダークだったのかも知れない。
あるいは人間の奥深くに、そういった要素があるからこそ、時を超え、世代を超え、年齢も国境も越えて人たちを魅了し続けるのかもしれん。

いずれにせよ、英米人の心に根付くもの。その一つであることに間違いはない。

7.文化としてのマザーグース

国民の文化に根付いているという点について日本の童謡にも同様なものがある。
例えば、仮に諸君が急いでいるとしよう。

学校、会社、あるいは待ち合わせの場所に遅刻寸前である。
そこで、諸君は近道をすることにする。さて、次の2つの路地の内、どちらを選びたいかね。

どっちを選ぶ?

なに?どっちも胡散臭くて嫌だ?
そういわず、どちらかを通らねばならんとしたらどっちじゃ。

多くの人は、Aの方を選ぶのじゃないだろうか。
「通りゃんせ」は「通りなさい」という意味じゃが、諸君ら日本人にはそれ以上の意味があるじゃろう。

左様、童謡の「通りゃんせ」に出てくる歌詞、「行きは良い良い、帰りは怖い」じゃ。

この歌の歌詞も意味不明じゃが、不気味な印象がある。
日本人は「通りゃんせ」という言葉だけで、この歌を思い出し、「帰りは怖い」=『この道を通ったら無事に出て来られるだろうか』かと疑いを持ってしまう。
もちろん、帰りは別の道を通れば「帰りは怖くない」のだが、通りゃんせ=怖いと思って当然じゃ。

しかし、欧米人に言ってもこれはわからん。

あるいは「キビ団子あげるからついてきてよ」と誰かに言われたら「私は猿や犬か!」と突っ込みたくなるじゃろう。
これも日本人であればこそじゃ。

西洋人は同じ感覚、あるいはそれ以上の感覚としてマザーグースを共有意識として持っておる。

じゃから、小説や映画、あるいは新聞の見出しなどでよく引用されるのじゃ。
日本マザーグース学会の会長、藤野紀男先生は、英語研究に欠かせないものとして「聖書」「シェイクスピア」そして「マザーグース」を掲げている。

どうじゃ、英語を学ぼうとする日本人諸君。この3つなら、マザーグースが一番とっつきやすいと思わんかね。

いや、結構、結構。

ぜひこの世界に足を踏み入れてくれたまえ。
吾輩をはじめとした奇妙な住民たちが諸君らを歓迎しよう。

では、また次回の講義にも出席してくれたまえよ。

ひゃっひゃっひやっ。

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