7.文化としてのマザーグース
国民の文化に根付いているという点について日本の童謡にも同様なものがある。
例えば、仮に諸君が急いでいるとしよう。学校、会社、あるいは待ち合わせの場所に遅刻寸前である。
そこで、諸君は近道をすることにする。さて、次の2つの路地の内、どちらを選びたいかね。
何?どっちも胡散臭くて嫌だ?
そういわず、どちらかを通らねばならんとしたらどっちじゃ。
多くの人は、Aの方を選ぶのじゃないだろうか。
「通りゃんせ」は「通りなさい」という意味じゃが、諸君ら日本人はそれ以上の意味を持っておるじゃろう。
左様、童謡の「通りゃんせ」に出てくる歌詞、「行きは良い良い、帰りは怖い」じゃ。
この歌の歌詞も意味不明じゃが、不気味な印象がある。
日本人は「通りゃんせ」という言葉だけで、この歌を思い出し、「帰りは怖い」=『この道を通ったら無事に出て来られるだろうか』かと疑いを持ってしまう。
もちろん、帰りは別の道を通れば「帰りは怖くない」のだが、当りゃんせ=怖いと思って当然じゃ。
しかし、欧米人に言ってもこれはわからん。
あるいは「キビ団子あげるからついてきてよ」と誰かに言われたら「私は猿や犬か!」と突っ込みたくなるじゃろう。
これも日本人であればこそじゃ。
西洋人は同じ感覚、あるいはそれ以上の感覚としてマザーグースを共有意識として持っておる。
じゃから、小説や映画、あるいは新聞の見出しなどでよく引用されるのじゃ。
日本マザーグース学会の会長、藤野紀男先生は、英語研究に欠かせないものとして「聖書」「シェイクスピア」そして「マザーグース」を掲げている。
どうじゃ、英語を学ぼうとする日本人諸君。この3つなら、マザーグースが一番とっつきやすいと思わんかね。
いや、結構、結構。
ぜひこの世界に足を踏み入れてくれたまえ。
吾輩をはじめとした奇妙な住民たちが諸君らを歓迎しよう。
では、また次回の講義にも出席してくれたまえよ。
ひゃっひゃっひやっ。